第165回お寺めぐり 『春うらら 箱根西麓を歩く』 

平成31年4月13日(土) 笹原 一柳院(浄土宗)・三ツ谷 松雲寺(日蓮宗)

12時00分、楽寿園入口集合。峯岸さんから今日訪問する「一柳院・松雲寺」のそれぞれのお寺の説明を受ける。

12時15分発の東海バス「元箱根行」に乗車。運賃500円。

「笹原」バス停で下車し、街道を横道に入り約200メートル歩くと小高い丘のような場所に一柳院がある。

街道からお寺のへの山道を登りながら、ガイドの山本さんが、昔の鋪装されていない道の写真を見せてくれた。

本堂裏の墓地から、富士山を眺めることができた。

一柳院は、誓願寺のご住職が兼務されているので、普段は無住である。地域のコミュニティの場所として大事に守っておられるとのことだ。

寺の名前は、古くは世を忍ぶ人が住むという意味の一柳庵と呼ばれていたそうだが、戦国末期の山中城の戦いで、豊臣家臣として参戦し亡くなった武将、一柳直末の墓の近くに一族がこの一柳庵を建て、直末の霊を慰めたといわれている。代々一柳家から供養料が供されていたが、それが途絶え廃寺となっていたのを笹原地区の有志の発願によって再興され、昭和29年に一柳院と改められた。

一柳院から春のスミレやタンポポ、眼下に広がる景色を楽しみながら、こわめし坂と呼ばれる急な山道を下る。街道に出て三島の方にしばらく下った所に松雲寺がある。

松雲寺は、玉澤の妙法華寺の末寺として370年の歴史があるお寺だ。

江戸時代、参勤交代のための西国大名たちの寺本陣だったそうだ。幕末には、徳川家茂公、徳川慶喜公も休憩されたとのこと。また、江戸を表敬訪問するための朝鮮通信使なども小憩されたようだ。

当時は一万人くらいの人の往来があり、街道には3つの茶屋があったことから、もとは三津屋といわれた。

明治の初めに坂小学校の前身となる三ツ谷学舎が松雲寺に開設され、現在の坂小学校に移転するまでの37年間、寺は教場として使われた。

推定樹齢400年の梛と椿の大木が、松雲寺の歴史を物語る大切な木として市の保存木に指定されている。

今までも、みしまのお寺めぐりの会が訪問するたびにいろいろお話しして下さったご住職が、今回も我々を迎えて下さった。現在は引退されたが、我々のために法話を準備して下さっていた。

三津屋→三ツ屋→三谷→三ツ谷→三ツ谷新田と地名が変遷していったとのこと。新田がつくのは農業を行っていたからだそうだが、農業をしていても、山中にあるのであまり栽培には適しておらず、村人は、旅人のための茶屋や旅籠、湯屋などで生計を立てていたとのことだった。

門についても教えていただいた。大きい寺では三門といい、中央の大きな門と左右の小さな門でできており、三解脱門(空門、無相門、無作門)といわれて、仏国土に至る門だそうだ。また、寺院の正門である山門は、もともと寺院が山に建てられ山号を付けて呼んだ名残で、平地にあっても山門という。「山の門、寺院、楼門」があると教えて下さった。

彼岸の期間は、六波羅蜜という「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」の六つの修行を行うことにより、彼岸にたどり着くことができるそうだ。また、徳をしたことを恩に着せないでその思いを捨てるという「慈悲喜捨」の気持ちも大切なようだ。

今まで、雲の中で見えなかった松雲寺からの富士山。今回は絶景だった。

14時48分松雲寺発のバスで帰路に着く予定だったが、一台目のバスは満員御礼。スカイウォークができたためかも知れない。

S.Sさん

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