第196回お寺めぐり『源兵衛川・境川に涼を求め、住職様のお話で熱くなる』

令和2年8月22日(土)  玉川 禅叢寺(臨済宗妙心寺派)

酷暑の中、鐘楼門(三島市指定文化財)をくぐって本堂に入ると、歴史を感じさせる棟札が置かれていた。

本日の御住職の法話は、2つのテーマについてであった。まず一つ目は、愛鷹神社の棟札に書かれている歴史資料について。

最も古い棟札は、徳川綱吉が五代将軍になる前の年の延宝7年(1679)もので、お寺で建立祝いをしたとの事が書かれており、そこには薬師院が関わっていた。また、社殿を移した事実の記載もあった。

明治30年(1897)、棟札から梵字が消え、神職が祝いを司るように変わり、その後、昭和7年(1932)に現在の社殿を建立したことが分かった。

山中息災の祈りを込め、延享3年(1746)に山神社を造営したことが棟札に記載されていた。

そして二つ目は、禅叢寺の半鐘・創建時の大鐘の銘文と御本尊との関わりというテーマであった。

半鐘の音を聞き心が穏やかになるとの願いを込め、仏教に深く帰依した人が奉納したとのことである。

太平洋戦争時、大鐘が供出される前に刻まれた銘文を拓本にした。そこには、御本尊の聖観世音菩薩が運慶の作であるという貴重な言葉も刻まれていた。また、金箔が剥げ落ちた為、京都の仏工に再装飾をしてもらったとの事であった。

「玉川に過ぎたるものが二つある 愛鷹神社と寺の門」というように、玉川の地は、それぞれの神仏を大切にしてきた。今も棟札が残っているのは、独自の視点を持っている人々に支えられているという御住職のお言葉が印象的だった。

Y.Mさん

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