令和3年7月3日(土) 加屋町 善教寺(浄土真宗本願寺派)
善教寺は三島宿の最西端にあり、京に近いといわれていた。
お寺へは旧東海道を進んで行く。かつてはその中央に路面電車(チンチン電車)が走っていた思い出などをお聞きしながら歩き、以前は三島の交通の拠点であったと、三島界隈の昔の様子を偲ぶことができた。
加屋町にある白道保育園の奥に善教寺はあった。
まずは、御住職の法話を拝聴する。
一つ目は、「仏説阿弥陀経」のお話。三濁(さんじょく)について説明して頂く。①劫濁(こうじょく)とは、天災・争乱が起こること。②見濁(けんじょく)とは、誤った思想がさかえること。③煩悩濁(ぼんのうじょく)とは、悪がはびこること。これらがあると人々の絆が少なくなるので、命を粗末にすることがないようにする事。「仏説阿弥陀経」の中には、これからの指針があるとのお話だった。
二つ目は、浄土宗から浄土真宗へ枝分かれしていく経緯のお話だった。二つの宗派の違いは、阿弥陀様に対する捉え方だそうだ。浄土宗は、何回も唱えなければならないのに対し、浄土真宗は、阿弥陀様の名前を呼んでいけば救って下さるとのことであった。
御住職の法話に続き、お孫さんの第19世新発意(しんぽっち)様のご法話を伺った。
現在、東京大学史料編纂所にて古文書をひもとき、日本の日にちごとの年表を作成しておられるそうだ。今日は、古文書の解読をして頂けるとのこと。今まで古文書を解読して頂く機会がほとんどなかったため、期待が高まっていた。
本日の古文書は、京都本願寺門跡の御住職(門主)様から善教寺の御住職に当てた2通の手紙だった。
江戸に行くので、途中三島で一泊する。その為出立する旨のことが書かれていた。さらにもう一通には、予定変更のため、沼津に宿泊すること。付け届けについては沼津へ持ってきても良いし、道中渡してもらっても良いと書かれていた。
手紙(古文書)の文面の内容から、当時の善教寺をはじめとする同宗派の門徒の方々の緊張感が想像でき、意思疎通のを図る大切な手立てであったと痛感した。
このような貴重な場に立ち会えた事に感動し、感謝の気持ちで一杯だった。
Y.Mさん