第145回お寺めぐり『頼朝旗上げ伝説のお寺で歴史を体感する』   

平成30年6月16日(土)  函南町 高源寺(曹洞宗)

13:00JR三島駅に集合し、東海道線で函南駅へ。函南駅でタクシー6台に分乗して高源寺へ向かう。

東海道線の線路をくぐり、しばらくして右に折れ山道を進む。

高源寺の山門前で現地集合の人たちと合流してから、高源寺についての事前学習を行った。

入口から山門まで苔むした鎌倉古道を思わせる石畳が続き、山門から鐘楼門、本堂まで立ち並ぶ古木は1000年近い歴史を感じさせる大木で、その周りは緑の絨毯を敷き詰めたように苔むし、6月の梅雨空にしっとりとした風情を醸し出していた。重厚で神聖な佇まいの山里のお寺に癒やされ、感動した。

梁の4カ所に菊の御紋がある四脚門、比企尼(ひきのあま)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、頼朝伝説のある実なしの椎の木、閻魔王、脱衣婆の石像がある鐘楼門など鎌倉時代が偲ばれる建物ばかりだった。

広島県出身のご住職が、高源寺の歴史について話して下さった。         

元は長久寺といい、弘法大師が650年前、修行道場として開かれた。鎌倉幕府を開いた源頼朝とも深い縁でつながっているお寺で、頼朝の乳母比企尼が、頼朝と文覚上人とを引き合わせ、文覚によって源氏の再興を促され、鎌倉幕府を開くことにつながったという、密談の場所となったのが長久寺だった。

なぜ、伊豆の頼朝が訪れるのに安全な場所だったのかは、ここが山の中にあり、修行道場としての寺であまり名前が知られていなかったためだと、後の比企家の人たち(現在埼玉県に住む比企家の子孫)の調査でわかった。

乳母の比企の孫娘は、津島家の初代大名の奥さんとなった人で島津忠久の母。高源寺には、島津忠久、源頼朝、比企尼の3つの位牌が並んで祀られている。

武士の時代を始めた頼朝と、武士の時代を終わらせた島津家の両方にかかわりをもつお寺である。

途中、野火で焼失したが、1190年頼朝の寄進により再建し、源氏の源をとって高源寺と改めた。歴史的にも源氏に深い関わりをもつ寺の名前が広まらなかったのは、比企家が北条家にあまりよく思われていなかったので滅亡させられ、そのため、比企家の資料がなくなってしまったことに関係があるようだ。

寺があって、そこに頼朝に関わる歴史、石橋山の合戦、出陣旗揚げ、軍勢揃いなどがあるので、それらをできるだけ寺を訪れる方々にお話しして知ってもらいたいと話されていた。

ご住職の仰るとおり、身近なところに荘厳で歴史ある寺が存在するということを多くの人が知ってくれることを願っている。

S.Sさん

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